センター代表 髙橋 純一 プロフィール
センター代表 髙橋 純一
「全国食養普及協会 会長」
「仙腸関節調整健康指導家」
1949年長野県生まれ
結核(脊椎カリエス)を1年後に発症した母親から生まれたため、出生時の肌はカサカサの真っ黒で、産婆さんから「この子は育たないかも知れない」と告げられたとの事。
結果、虚弱体質で風邪引き、胃腸は弱く、様々な症状に苛まれながらも命を落とすことは無く成長する。
9歳のとき悪戯で木に登り2メートルの高さから落下し胸椎、頚椎を打撲、九死に一生を得る。しかし、その時の後遺症が後年苦しみの原因の一つとなる。
高校時代、体力の無いのは精神力が弱いからだと自分に言い聞かせて、野球部に入部、怪我続きではあったが精神力でやり通す。
公務員時代21歳で野球(投手)の疲労から腰痛発症、精神的にも大人の世界に溶け込めず鬱病(自殺願望)も経験する。以後立直るが、坐骨神経痛、強い背中痛、首痛に悩まされるが、「人生は精神力で生き抜くこと」を信条に強引な生き方をしてきた。
公務員を中途退職し、飲食業の世界に入り3店舗を経営したが、過酷な生活に体調は更に悪化し、薬漬けと医者通いの日々が続くが症状の改善はみられず、これらの症状は生涯付き合っていくものと諦めていた。
五味雅吉先生と私(44歳)
しかし、38歳で骨盤調整健康法の創始者(故)「五味雅吉先生」に巡り合い「身体には治る力が存在することを教えられる」、そして半年で腰痛を克服、諸々の疾患も次第に影を潜めてしまう。
先生を信じて通う中で「己の治る力の存在を実感」、先生の施術と指導法に感動して、その後、五味雅吉先生に師事して骨盤調整健康法を学び、平成5年長野市に高橋健康指導センターを開設する。
ベルトランド大高秀春先生と私(60歳)
また、48歳のときマクロビオティックの創始者(故)「桜沢如一先生」の弟子、ベルトランド大高秀春先生から「食養」を学び、更に健康体に変身、現在に至る。
本歳71歳の老年時代を生きているが、老化を体験しつつ、老化に屈しない日々を送っている。
38歳から今日までの37年間、医師の世話になったことは一昨年「めまい」を発症した1回のみで、薬の服用もその時1回のみです。
あれだけ薬漬けの私でしたが、正しい健康法を実践すれば薬を服用する病などにかかることもありません。
※「骨盤調整」は骨盤を瞬時に正す素晴らしい整体ですが、その正す技を会得していなくても「骨盤調整」と看板を掲げている所が少なくありません。
よって私は「仙腸関節調整」という名称にしています。
全国食養普及協会 会長
仙腸関節調整健康指導家
高橋健康指導センター代表
髙橋 純一